2006/10/27(金)第5回『ラルフ・ブライアント』

2006/10/27 22:44

1988年6月7日。近鉄のリチャード・デービスが大麻不法所持で逮捕され、そのまま退団することになりました。主砲を失った近鉄は慌てて新外国人選手の獲得に動きますが、日本プロ野球の移籍期限は6月30日。じっくりと調査をする余裕もありません。

そんな中、近鉄の目に止まったのは、ウエスタンリーグでプレイしている中日のパワーヒッターでした。彼の名前はラルフ・ブライアント。当時の中日には郭源治、ゲーリー・レーシッチという二人の外国人選手が在籍していたため*1、一軍登録可能な外国人枠に食い込むことができず*2、このまま二軍で燻り続けるしかなさそうな選手です。

ブライアントは速いスイングでボールを遠くに飛ばす能力には秀でていたものの、緩いボールを待ちきれず、変化球に突っ込んだスイングを繰り返して三振の山を築いており、なんとも評価の難しい選手でした。それでも、前述のとおり移籍期限まで時間がなかったこと、年俸がわずか700万円に過ぎなかったことから、近鉄はブライアントの獲得に動きました。結局、金銭トレードという形で移籍が実現し、ブライアントは近鉄のユニフォームに袖を通すことになりました。それが6月28日。移籍期限の2日前のことでした。

移籍翌日の6月29日の日本ハム戦で、決勝のタイムリーツーベースを放ってデビュー戦を飾ったブライアントは、7月3日の西武戦で来日初ホームランを放つと、その後もホームランを連発。結局、74試合で34本塁打78打点という驚異的な数字を残しました。130試合換算で60本塁打137打点。この年はあの「10.19」の年であり*3、近鉄は惜しくも優勝を逃したわけですが、ブライアントの活躍なしにはペナント終盤の猛追はなかったでしょうし、今も伝説として残るようなダブルヘッダーのドラマもなかったでしょう。

大活躍のうちに1年目のシーズンを終えたブライアントですが、2年目も慢心することなく活躍を続けました。近鉄は彼に引っ張られる形で西武、オリックスとの壮絶な三つ巴の優勝争いを繰り広げます。そして迎えた天王山、10月12日の西武とのダブルヘッダー。この試合で近鉄優勝への細い糸を手繰り寄せたのは、やはりブライアントでした。

【西武 vs 近鉄 第24回戦】
(1989年10月12日:西武ライオンズ球場)
 
近鉄  0 0 0  1 0 4  0 1 0  6
西武  1 3 0  0 1 0  0 0 0  5
 
[勝] 加藤哲 6勝2敗1S
[S] 吉井  5勝5敗20S
[敗] 渡辺久 15勝11敗0S
 
[本塁打]
  2回裏 辻       3号 2ラン (高柳)
  4回表 ブライアント 46号 ソロ  (郭)
  6回表 ブライアント 47号 満塁  (郭)
  8回表 ブライアント 48号 ソロ  (渡辺久)
【西武 vs 近鉄 第25回戦】
(1989年10月12日:西武ライオンズ球場)
 
近鉄  2 0 4  3 3 0  1 1 0  14
西武  2 0 0  0 0 0  0 2 0   4
 
[勝] 阿波野 19勝8敗0S
[敗] 高山  5勝4敗0S
 
[本塁打]
  ブライアント 49号 ソロ  (高山)
  リベラ    24号 ソロ  (高山)
  鈴木     19号 2ラン (西本)
  鈴木     20号 ソロ  (工藤)
  清原     35号 2ラン (木下)

このダブルヘッダーを迎えた時点で、首位西武は2位近鉄との3試合を残すのみ。1ゲーム差でそれを追う近鉄は西武と3試合、ダイエーと1試合を残していました。近鉄は西武との3試合に負け越した時点で優勝の可能性がなくなります。また、近鉄とゲーム差なしの3位オリックスは下位のロッテ、ダイエー戦しか残していないため、残り4試合全勝の可能性も充分にあり、近鉄は非常に厳しい状況に追い込まれていました。

そんな中で迎えたダブルヘッダー第1試合は、西武が序盤にあっさり4点を奪い、いきなり近鉄はピンチに立たされます。しかも、西武の先発は近鉄戦に滅法強い郭泰源。西武ファンの私は、2回が終わって4-0となった時点で「勝った」と思っていました。

しかし、ブライアントは4回の第2打席でソロホームランを放って反撃の狼煙を上げます。さらに、1点を返された直後の6回の第3打席では、満塁のチャンスで再びライトスタンドに叩き込み、一人で試合を振り出しに戻してしまいました。

そして迎えた8回の第4打席。この回からマウンドに登ったのは、ブライアントが大の苦手にしている渡辺久信でした。2-1とあっさり追い込んだバッテリーは、4球目にインハイのストレートを選択。アッパースイングのブライアントには絶対に打てないはずの球ですし、たとえボールになったとしても次に落ちる球で勝負するための布石になります。

渡辺久は、キャッチャー伊東の構えたミット目掛けて、寸分の狂いもなく投げ込みました。ブライアントがスイングを始めた瞬間、バッテリーも、西武ファンも、誰もがこれで三振だと思ったでしょう。しかし、ブライアントがこの打てるはずのない球を捕らえると、打球はライトスタンドへ一直線。渡辺久はライト方向を振り返りながら座り込み、唖然とした顔で打球を見送りました。「悔しがる」というよりは「なぜ打たれたのかわからない」という表情でした。

勝ち越しのソロホームラン。なんとブライアント一人で全6打点を叩き出し、序盤の大量ビハインドをひっくり返してしまいました。

この3打席連続ホームランで第1試合を制した近鉄は、第2試合はワンサイドゲームで西武を圧倒して連勝。このダブルヘッダーに連勝した近鉄は、追いすがるオリックスを振り切ってペナントを制しました。ちなみにブライアントは、ダブルヘッダー第2試合では第1打席フォアボールの後、第2打席でホームランを放って4打数連続本塁打を達成しています。まさしく優勝を決める4打数連続アーチでした。

この年の優勝に多大な貢献をしたブライアントは、みごとMVPに輝きました。不幸にして当時は西武が黄金時代だったために、もう一度優勝を経験することはできませんでしたが、ブライアントは3年目以降も活躍を続け、その間にいくつものエピソードを残しています。

たとえば1990年6月6日の日本ハム戦。角盈男から放った打球は、ぐんぐんと伸びていって東京ドームの天井スピーカーを直撃しました。この打球はグラウンドルールでホームランと認められましたが、この認定ホームランを放ったバッターは後にも先にもブライアントただ一人です。正確なところは誰にもわかりませんが、この打球は天井がなければ170メートル飛んだとも、180メートル飛んだとも言われています。

また、1993年には42本塁打107打点で二冠王に輝くとともに、シーズン200三振の壁を破る204三振を達成。そもそも破っていい壁なのか悪い壁なのかはわかりませんが、この三振の多さもブライアントの魅力の一つであったことは間違いありません。ちなみに、日本プロ野球のシーズン三振数10傑は以下のとおり。ブライアントばっかりですね。

  1 ブライアント  近鉄     1993年  204
  2 ブライアント  近鉄     1990年  198
  3 ブライアント  近鉄     1989年  187
  4 ブライアント  近鉄     1992年  176
  5 岩村明憲    ヤクルト   2004年  172
  6 デストラーデ  西武     1990年  165
  7 ミッチェル   日本ハム   1977年  158
  8 シェルドン   オリックス  2002年  155
  9 ブライアント  近鉄     1994年  153
 10 清原和博    巨人     1997年  152

三振数が多いのはあまり名誉なことではありませんが、「三振が多くても使ってもらえる」というのは一流選手の証でもあります。三振に目をつぶっても起用したくなるくらいの打棒を持っていた証明ですから。

近鉄バファローズの歴史を振り返ると、数多くの優良外国人選手の名前が挙がってくるでしょう。そんな外国人選手の中でも、ブライアントの個性は傑出していると思います。圧倒的なパワーと勝負強さで観客を魅了したブライアント。そして、打ち始めると止まらず、手がつけられなくなったブライアント。彼はまさしく近鉄バファローズが誇る「いてまえ打線」の象徴でした。

 

□ 略歴

1961年生。アメリカ合衆国ジョージア州出身。右投げ左打ち。外野手。

ボールドウィン農業大学-ロサンゼルス・ドジャース(1981年)-中日ドラゴンズ(1988年)-近鉄バファローズ(1988年)

【打撃成績】
              G    AVG   HR  RBI  SB
---------------------------------------
 1988  近鉄     74  .307   34   73   1
 1989  近鉄    129  .283   49  121   5
 1990  近鉄    108  .245   29   73   4
 1991  近鉄     63  .238   22   43   3
 1992  近鉄    119  .243   38   96   6
 1993  近鉄    127  .252   42  107   4
 1994  近鉄    105  .293   35  106   0
 1995  近鉄     48  .194   10   22   0
---------------------------------------
             773  .261  259  641  23
  • 最優秀選手:1989年
  • 本塁打王:1989年、1993年、1994年
  • 打点王:1993年
  • ベストナイン:1989年、1993年、1994年

*1:郭は後に日本に帰化していますが、当時はまだ台湾国籍でした。

*2:当時の外国人枠は2。現在は4に広がっています。

*3:10.19については星の数ほど文献がありますので、ご存じない方はそちらを参照してください。