2005/09/26(月)第1回『オレステス・デストラーデ』

2005/09/26 22:54

1989年、西武の主砲であるタイラー・リー・バン・バークレオは、明らかに調整不足であろう太い体で来日しました。2年目のシーズンとなった前年、38本塁打90打点の活躍をしたことで日本野球を舐めていたのかもしれません。

ペナントレースが始まると、開幕前の危惧どおりバークレオは不振に喘ぎます。その状況で西武が急遽獲得したのがオレステス・デストラーデでした。6月に来日したデストラーデは合流初戦でホームランを放つ鮮烈デビューを飾ると、その後もホームランを量産し続け、83試合で32本塁打という驚異的な成績を残しました。

2年目のシーズンとなった1990年、前年のバークレオの悪夢を忘れられない私は、やはりデストラーデの出来が不安でした。しかし、それは彼に対してあまりにも失礼だったかもしれません。シーズンが終わってみれば42本塁打106打点で二冠王。2年ぶりのリーグ制覇に大きく貢献しました。

そして、この年圧巻だったのが巨人との日本シリーズです。第1戦の第1打席で超特大の先制3ランを放つと、その後も毎試合打点を上げる活躍を見せ、シリーズ4タテの立役者となりました。結局、打率.375、2本塁打、8打点という成績で文句なしのシリーズMVPに輝きます。

ところで、日本シリーズ絡みでデストラーデが持っている記録があります。前述の1990年から1992年まで「3年連続日本シリーズ第1戦第1打席本塁打」というものです。こじつけ臭い記録ではありますが、考えようによってはこれはとても大変な記録だと思います。達成するためには「チームが3連覇し、自身も3年間主力であり続ける」というかなり厳しい条件があるからです。おそらく今後も破られることはないでしょうね。

さて、デストラーデは3年目以降もその打棒でチームを引っ張りつづけます。特に秋山幸二、清原和博と組んだクリーンアップトリオは「AKD」と呼ばれ、他球団を震え上がらせました。この3人がいる限り、強打の近鉄にも攻撃力で劣ることはない。そう信じていたのですが……。

1992年オフ、メジャーリーグの新球団、フロリダマーリンズのオファーを受けたデストラーデは、翌年から新天地でプレイすることになりました。活躍の場をメジャーに移したデストラーデは、マーリンズの4番として20本塁打87打点という好成績を残します。しかし、翌1994年、不振を極めて5月末に解雇されてしまいました。

そして1994年オフ、西武が再びデストラーデと接触します。衰えとも取れる大不振、そして5月以降実戦から遠ざかっている長いブランクがあったにもかかわらず、西武が獲得に動いたのには理由があります。

デストラーデが抜けてからの2年間、西武はリーグ優勝こそ果たしたものの、日本シリーズでヤクルト、巨人に敗れて日本一を逃しています。もちろん、デストラーデ不在だけが敗退の原因ではありませんが、その時期の外国人選手があまりにも打てなかったのも事実です。

                   G    AVG  HR  RBI  SB
------------------------------------------------
 1993  トレンティーノ     30  .152   1    6   0
 1994  パグリアルーロ     80  .263   7   43   3
 1994  ブリューワ       74  .232   8   31   1

ダメ外人マニア大喜びのラインナップです。この成績を見ていると、何と言うか、デストラーデが恋しくなるのも当然だと感じますね。しかも1994年の2人については、こんな成績なのに半分以上の試合で起用されてしまうほど打線全体が低調でした。

さて、「あのデストラーデが帰ってくる!」という、大きな大きな期待を受けての西武復帰でしたが、結果は散々。以前のような打棒を発揮することができず、夫人との離婚問題もあってシーズン途中に帰国ということになってしまいました。

ちなみにこの年の5月9日、富山アルペンスタジアムのオリックス戦で、大量リードを許した8回裏にピッチャーとしてマウンドに登っています。この時は被安打1、与四球2で1アウトも取れずに降板。まぁ、こちらはお遊びですからね。

ところで、デストラーデといえばホームランという印象が強いのですが、意外に脚もある選手で、毎年二桁の盗塁を決めています。このあたりは来日する外国人選手に多い「打つだけで走れない守れない」というイメージとは違いました。もっとも、守備はやっぱりダメでしたけど。

忘れてはいけないのはその明るいキャラクター。日本ハムのマット・ウィンタースとじゃれ合っている姿は、オフの珍プレー番組の格好のネタになりました。また、彼がホームランを放った時のガッツポーズも独特でした。左手を前に突き出して、弓を射るように右手をグッと引く。私が地元埼玉出身だったこともあるのでしょうが、私を含めた子供たちはよく真似をしたものです。

さて、西武史上最高の成績を残した外国人野手は誰かと問われれば、私は迷うことなく「アレックス・カブレラ」と答えるでしょう。しかし、西武史上最高の外国人野手は誰かと問われれば、私はやはり迷うことなく「オレステス・デストラーデ」と答えます。記録だけでなく記憶にも残る陽気なカリビアン。俺はそんなデストラーデが大好きでした。

 

□ 略歴

1962年5月8日生。キューバ共和国出身。右投げ両打ち。内野手・外野手。

フロリダ大 - ニューヨークヤンキース(1981年) - ピッツバーグパイレーツ(1988年) - 西武ライオンズ(1989年) - フロリダマーリンズ(1993年) - 西武ライオンズ(1995年)

【打撃成績】
              G    AVG   HR  RBI  SB
---------------------------------------
 1989  西武     83  .257   32   81   4
 1990  西武    130  .263   42  106  10
 1991  西武    130  .268   39   92  15
 1992  西武    128  .266   41   87  12
 1995  西武     46  .245    6   23   1
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             517  .262  160  389  42
 
【投手成績(笑)】
            G   W   L   S   ERA
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 1995  西武   1   0   0   0  -----
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            1   0   0   0  -----
  • 本塁打王:1990、1991、1992
  • 打点王:1990、1991
  • ベストナイン:1990、1991、1992
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