2008/10/19(日)第10回「10.19」

2008/10/19 6:20

まだ若い方はご存じないかもしれません。20年前まで、南海というチームがあったことを。阪急というチームがあったことを。その2チームが同じ年に身売りをしたことを。

そして、その年に球史に残るようなダブルヘッダーがあったことを。

今回はちょうど20年前の今日、1988年10月19日に行われた近鉄-ロッテのダブルヘッダー、通称「10.19」について書きたいと思います。

1987年のシーズンに最下位に沈んだ近鉄は、監督の岡本伊三美が辞任。後任には、岡本政権下でヘッドコーチを務めていた仰木彬が昇格することになりました。

前年最下位で、指揮を執るのが新人監督ということもあり、ほとんどの解説者が近鉄は下位に沈むと予想していましたが、解説者の予想がアテにならないのは今年のパ・リーグを見ても明らかです。エース阿波野秀幸を始めとする先発陣の整備、吉井理人のストッパー起用の成功、途中加入のラルフ・ブライアントの爆発などにより、近鉄は西武に次ぐ2位で前半戦を折り返しました。

オールスターを終えて後半戦に入っても近鉄の勢いは衰えず、逆に西武は9月に入ってから大失速します。そして、9月終了時にはわずか1.5ゲーム差というところまで迫りました。

【1988年9月30日時点の順位表】
 
       勝  敗  分  勝率  差   残
1  西武  64  47   6  .577   -   13
2  近鉄  61  47   3  .565  1.5  19

さて、この表を見て気になる点がありませんか? そう、両チームの残り試合の差です。近鉄は雨天中止が多かった影響で、10月19日までに19試合も消化しなければならなくなりました。この間の移動日は3日、6日だけ。7日から19日まではダブルヘッダー2回を含む15連戦という超過密日程で戦わなくてはなりません。

近鉄は10月1日、2日に行われた西武との直接対決を1勝1敗で終え、4日の日本ハム戦に勝ったところで、2位ながらマジック13が点灯しました。翌日の日本ハム戦にも勝ってマジック12。しかし、移動日をはさんでの所沢での直接対決では西武が連勝し、ゲーム差は2まで広がってしまいました。

残り試合の多さから、近鉄のマジックは灯り続けたままでしたが、それも残り13試合でマジック12という無茶な数字です。大方の予想は「西武の逃げ切り優勝」でした。

しかし、近鉄はここから勝ち続けます。藤井寺、川崎で行われた対ロッテ6連戦を全勝し、続く阪急戦も勝って7連勝。この間に西武も5勝1敗と粘ったため、マジック自体は8つしか減らせませんでしたが、「ひょっとしたら……」という空気が漂ってきました。

そして16日、西武は一足先に全日程を終えます。結局西武は9月の不調を立て直し、10月を9勝4敗で乗り切り、特に近鉄にマジックがついてからは8勝2敗という見事なラストスパートを見せました。

【1988年10月16日時点の順位表】
 
       勝  敗  分  勝率  差   残
1  西武  73  51   6  .589   -    0
2  近鉄  72  51   3  .585  0.5   4

さて、一方の近鉄は残り4試合でマジック3です。今までの勢いを考えれば決して不可能ではなさそうに見えました。しかし、17日の阪急戦でエース阿波野を立てながら1-2と惜敗。優勝のためには残りのロッテ戦3試合に全勝するしかなくなり、一気に崖っぷちに立たされることになりました。

その3連戦ですが、18日の試合は近鉄が12-2と圧勝。そして翌19日、運命のダブルヘッダーを迎えることになります。

【ロッテ vs 近鉄 第25回戦】
(1988年10月19日:川崎球場)
 
近鉄   0 0 0  0 1 0  0 2 1  4
ロッテ  2 0 0  0 0 0  1 0 0  3
 
[勝] 吉井  10勝2敗24S
[S] 阿波野 14勝12敗1S
[敗] 牛島  1勝6敗25S
 
[本塁打]
  1回裏 愛甲 17号 2ラン (小野)
  5回表 鈴木 20号 ソロ  (小川)

午後3時、第1戦のプレイボールがかかりました。先発は近鉄が小野和義、ロッテが小川博です。

先制したのはロッテでした。初回、愛甲猛のホームランで2点を先行。小野はその後立ち直りますが、勝たなければいけない試合で痛い痛い先制点を与えてしまいました。

一方、ロッテ先発の小川は、4回まで近鉄打線をパーフェクトに抑える好投を見せます。5回に鈴木貴久のホームランで1点を失いますが、それ以降は相変わらずヒットを許しません。

そして、7回裏には佐藤健一のタイムリーツーベースでロッテが1点を追加します。近鉄にとっては非常に厳しい展開になりました。

近鉄が反撃に転じたのは8回表。1アウト一二塁から、代打・村上隆行の打球がレフトフェンスを直撃し、二者が還って同点に追いつきました。しかし、その後のチャンスを活かすことができず、この回の近鉄は同点止まりに終わります。

当時のパ・リーグ規定では「ダブルヘッダー第1試合は同点でも延長戦を行わない」と定められていました。ですから、9回表に点を取らない限り、近鉄は勝つことができません。すなわち、優勝のためには9回に何が何でも得点しなければいけないのです。

そしてその9回表。1アウト後、淡口憲治のあわやホームランかというライトオーバーのツーベースでチャンスを作ると、近鉄ベンチは代走に佐藤純一を送ります。対するロッテベンチは先発の小川を諦め、守護神・牛島和彦を投入しました。

この場面で打席に向かうのは、この日ホームランを含む2安打の鈴木です。鈴木は期待に応えてライト前に弾き返しますが、ライトからの返球が素晴らしく、二塁ランナー佐藤は三本間に挟まれてしまいました。必死に生きようとする佐藤ですが、三塁手前でタッチアウト。球場は静まり返り、佐藤は呆然とした表情で座り込んでしまいました。

依然2アウト二塁と得点のチャンスは続いていますが、逆にもう1つアウトを取られれば優勝が消える崖っぷち。ここで代打に送られたのはベテランの梨田昌孝でした。梨田は詰まりながらもセンター前に運び、二塁ランナー鈴木はホームに突入します。センターからのバックホームはストライクでキャッチャーに届きますが、鈴木はそのタッチを横っ飛びでかいくぐって滑り込みました。判定は……セーフ! 近鉄はあと1人という土壇場で4-3と勝ち越しに成功します。

その瞬間、ベンチから選手が飛び出し、特に興奮した中西太コーチと鈴木が抱き合ってグランドを転げ回りました。まだ優勝したわけでも、ましてやこの試合の勝ちが決まったわけでもありません。しかし、この1点はそのくらい大きな価値のある、そして大きく魂を揺さぶるような1点でした。

なんとか勝ち越し点を上げた近鉄でしたが、まだまだピンチは続きます。9回裏、守護神の吉井が先頭の丸山一仁にフォアボールを与え、ノーアウトのランナーを出してしまいます。続く山本功児にもボールが2球続いたところで、仰木監督はマウンドにエース阿波野を投入しました。阿波野は前々日の阪急戦で完投しており、常識的に考えればあり得ない采配ですが、ここはエースの左腕に託したということでしょう。

しかし、やはり疲れはごまかせません。阿波野はなんとか2アウトまで漕ぎ着けたものの、佐藤にツーベース、愛甲にデッドボールを与え2アウト満塁の大ピンチ。

ただ、近鉄にとって幸いなことに、続くバッターは守備要員の森田芳彦で、ロッテベンチは既に野手を使い切っていました。阿波野は森田を三球三振に打ち取りゲームセット。近鉄は逆転優勝への望みを第2試合に繋ぎました。午後6時21分のことでした。

【ロッテ vs 近鉄 第26回戦】
(1988年10月19日:川崎球場)
 
近鉄   0 0 0  0 0 1  2 1 0  0  4
ロッテ  0 1 0  0 0 0  2 1 0  0  4
(延長10回時間切れ引き分け)
 
[本塁打]
  2回裏 マドロック  17号 ソロ (高柳)
  7回表 吹石      2号 ソロ (園川)
  7回表 真喜志     3号 ソロ (園川)
  7回裏 岡部     11号 ソロ (高柳)
  8回表 ブライアント 34号 ソロ (園川)
  8回裏 高沢     14号 ソロ (阿波野)

午後6時44分、泣いても笑っても最後のゲームとなる第2試合のプレイボールがかかりました。先発は近鉄がルーキーの高柳出巳、ロッテが園川一美です。

先制したのはまたもロッテでした。2回裏、ビル・マドロックのホームランで1点を先取します。対する近鉄は6回表、ベン・オグリビーのタイムリーで同点に追いつきました。

中盤までは高柳、園川両投手の投手戦が繰り広げられましたが、7回に入ってから一気に試合が動き出します。

7回表、近鉄は吹石徳一のホームランで1点を勝ち越します。吹石は近鉄一筋15年目の選手ですが、規定打席に到達したのは1981年のみという、準レギュラーのポジションにいる選手です。そんな吹石は骨折欠場している金村義明の代役としてのスタメンでした。

さらにこの回、真喜志康永もホームランを放ってリードを2点に広げます。真喜志は守備には定評があるものの、どちらかというと打撃は頼りない選手でしたが、この大一番で大きな仕事をしました。吹石にしろ、真喜志にしろ、こういうポジションの選手が活躍するゲームは非常に流れがいいです。近鉄ベンチは大いに盛り上がりました。

しかし、ここまで好投を続けてきた高柳にも限界が見えてきたようです。7回裏、先頭の岡部明一のホームランでロッテが1点を返します。さらに古川慎一もヒットで続いたところで近鉄ベンチは吉井を投入しました。吉井は2アウトを取りますが、西村徳文のタイムリーで試合は振り出しに戻ります。

球場には重苦しい空気が漂い始めましたが、8回表、この年の近鉄の快進撃を象徴する選手であるブライアントが、ライトスタンドへ34号ソロを叩き込んで再度勝ち越しに成功しました。そして近鉄ベンチは8回裏から阿波野を投入し、逃げ切りを図ります。

しかし、繰り返しますが阿波野は前々日の阪急戦で完投しているピッチャーです。そして2時間ほど前には絶体絶命のピンチで全力投球をしています。やはり疲れがあったはずです。阿波野はこの回、1アウトから高沢秀昭にホームランを打たれ、またもや同点となりました。

さて、第1試合は「延長戦なし」という制限があったわけですが、この第2試合でも別の制限が課せられています。「延長戦は12回まで。ただし、試合時間が4時間を超えた場合は新しいイニングに入らない」というパ・リーグ規定です。私の記憶も曖昧になっていますし、このあたりは資料を当たってもはっきり分からないのですが、確か9回に入ったところで3時間15分ほどを経過しているはずです。残りは45分ほど。良くても11回まで、少し攻撃が長引けば10回までしか行けなそう、そんな時間でした。

ちなみに、なぜこんな微妙な時間を覚えているかというと、このあたりでニュースステーションが始まった記憶があるからです。この日のテレビ朝日は、午後9時から人気番組の『さすらい刑事旅情編』との差し替えで、なんとCMなしでこの試合の生中継を敢行していました。さらにニュースステーションの時間になっても、久米宏が「川崎球場が大変なことになっています!」と言ったきり、ニュースを伝えずに野球中継を続けてしまいます。今ではこんなことは考えられませんよね。

閑話休題。

9回表、2アウトを簡単に取られますが、大石大二郎がツーベースで出塁してチャンスを作ります。続く新井宏昌の打球も三塁線を襲う痛烈な当たりでしたが、サード水上善雄が横っ飛びでこの打球を抑えると、一塁へ素晴らしい球を送って近鉄の勝ち越しを阻止しました。この試合の実況を担当していた安部憲幸が、このファインプレイの際に「This is プロ野球!」という名言を残していますが、その言葉が大げさには思えないほどの超ファインプレイでした。ちなみに、この後のCM明けで久米宏が「This is ニュースステーションです」とか言ったりして……あ、もうニュースステーションの話はいいですね、すみません。

9回裏、引き続き阿波野がマウンドに上りましたが、またも試練が訪れます。先頭の古川がヒットで出塁すると、続く袴田英利の送りバントの処理でピッチャーとキャッチャーが交錯して内野安打としてしまいました。ノーアウト一二塁。

この場面で、阿波野は二塁に牽制球を送ります。少し球が高く浮きますが、セカンドの大石がジャンプして捕球すると、交錯しながら古川にタッチ。古川の足がベースから離れていたとして判定はアウトとなり、ピンチを脱したかに見えました。しかし、ここでロッテの有藤道世監督が猛抗議を始めました。古川が塁を離れたのは大石に押し出されたからで、走塁妨害ではないかという主張です。

繰り返します。当時のパ・リーグでは、延長戦で試合時間が4時間を超えた場合は新しいイニングに入りません。その4時間のリミットまであと30分を切ったこの状況で、この抗議はあまりに痛かった。確かに微妙なプレイではありましたが、逆に言えばこういう微妙なプレイの時の判定がひっくり返ることはまずないのは、有藤監督にもよく分かっていたでしょうに。

結局抗議は9分間に及びましたが、判定は覆らず1アウト一塁で試合は再開されました。阿波野は水上を打ち取って2アウトとしますが、西村のツーベース、佐藤のフォアボールで満塁のピンチを招きます。迎えるバッターは愛甲です。

愛甲の打球はフラフラとショート後方に上がりました。懸命に前進するレフト淡口。落ちればサヨナラという打球でしたが、淡口が地面スレスレでダイレクトキャッチし、グラブを高々と掲げました。この回もなんとか凌いで延長戦に突入です。

延長10回表、時間的にはおそらく最後になるであろう近鉄の攻撃。先頭のブライアントはセカンドゴロに打ち取られますが、ベースカバーのタイミングが合わず、送球をピッチャーの関清和が後逸して一塁に生きました。代走は安達俊也。

何かが起こりそうなムードが漂うラッキーな出塁でしたが、続くオグリビーが三振に倒れて1アウト。さらに羽田耕一の打球はセカンド真正面のゴロとなり、西村が自ら二塁を踏み2アウト。さらに一塁に転送して3アウトチェンジ。

この時点で午後10時41分。残り3分で10回裏を終わらせるのはほぼ不可能です。事実上、近鉄の優勝が消滅した瞬間でした。

しかし、まだこの時点では試合が終わったわけではありません。勝てないことが分かっていても、近鉄の選手たちは10回裏の守りにつかなければいけません。野球の神様はなんと残酷なのでしょう。中には涙を浮かべている選手さえいました。

近鉄は10回裏を加藤哲郎と木下文信のリレーで0点に抑え、シーズン最終戦を引き分けで終えることになります。最終成績は74勝52敗の勝率.587。優勝した西武とはゲーム差なしの勝率2厘差というわずかな差で2位に終わりました。

【1988年の最終順位表】
 
       勝  敗  分  勝率  差   残
1  西武  73  51   6  .589   -    0
2  近鉄  74  52   4  .587  0.0   0

私は時々思い出します。20年前まで、南海というチームがあったことを。阪急というチームがあったことを。その2チームが同じ年に身売りをしたことを。

そして、その年に球史に残るようなダブルヘッダーがあったことを。

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