2012/04/12(木)「足りていた」と「使い切らなかった」は違う

2012/04/12 20:38

あまりブログでは思想信条的な話はしないようにしていたのですが、さすがに腹に据えかねたのでちょっとそういう話をしたいと思います。

今日は体調が悪く、仕事をお休みしてました。

時期的にさすがにインフルじゃないだろうとは思ったのですが、結構な熱が出ていたので一応病院に行きました。そのとき看護師さんに「あれ? 今日は内科なの?」と言われたんですが、俺はどんだけ整形外科の常連なんだよw

で、病院に行った帰りに原発反対の方々が署名を集めていたみたいで、ご苦労なことだなぁと思いながら無視していたのですが、信号待ちの間にこちらに近づいてきましてね。まぁ、それでもうぜぇよと思いながら無視していたんですが、さすがにちょっとしつこかったので口論っぽくなってしまいました。

なんなんだろう。首都圏の電力消費の負担を福島だけに押しつけるのは間違っているとか、原子力は危険だから代替のエネルギー開発に力を注ぐべきだとか、そういう話であれば、その主張はもっともなことだと思いますし、耳を傾ける気にもなるんですけど。

「去年の夏に電力が足りていたのだから原子力発電はいらないはずだ」とはどういう言い種なんでしょう。「原子力発電はいらない」というのは彼らの主張ですから尊重するにしても、「去年の夏に電力が足りていた」とは。ふぅん、「電力が足りていた」ねぇ。

去年の夏、各所の人たちがどれだけの犠牲を払っていたか彼らは知らないのでしょうか。というか、問い詰めたら知らないようでした。俺の親戚の工場は、計画停電でダメージを食らった上に、夏場のシフト操業のせいで受注がうまく行かずに潰れたんだよ。節電って「エアコンを我慢する」とかそういうレベルの話じゃねーんだよ。あと、本音を言えばうちの実家はこのへんよりはるかに暑いので、エアコンを止めるのも勘弁してあげて欲しいです。両親とももう年寄りなんで。

東京電力の発表を信じる限りにおいては、去年の夏場には電力がピンチになった日が何日かありました。でもみんなで頑張って、なんとか停電しない範囲に抑えたんです。あなた方がどんな思想を持とうが構いませんが、みんなの努力、もっと言えば努力というより「かなりの無理」をあざ笑うような発言は許せません。原子力発電反対の口実に、去年の夏のことを持ち出すのはやめていただきたいと思います。