2005/09/26(月)第2回予告

2005/09/26 23:23

というわけで、予告からずいぶん経ってしまいましたが、第1回「オレステス・デストラーデ」をお送りいたしました。なんつーか、普段おちゃらけた文章ばかり書いているので、ちゃんとした長文を書くのは思っていたより難しかったですね。まぁ、半分は自己満足の世界なので、ボチボチ続けていきたいと思います。

同じ内容をヨーグルトBlog*1の方にも書いたのですが、同じことを2ヶ所にアップしても芸がないような気もしてきました。向こうは「索引的ページ」にするのが目的ですから、五十音順の索引を設けた上で一部分だけ書くようにして、全文を読む場合はこちらに誘導するのがいいのかなぁ。この辺りは色々検討中です。

ちなみに第2回のお題は、以前にも予告したとおり「白いボールのファンタジー」の予定です。そして、第3回以降は全く決まっていません。行き当たりばったりっぷりが際立っていますね。何かいいお題を思いついた方はコメント欄などでご意見をいただけると幸いです……と、いきなり人を頼ってみたりして。

2005/09/26(月)第1回『オレステス・デストラーデ』

2005/09/26 22:54

1989年、西武の主砲であるタイラー・リー・バン・バークレオは、明らかに調整不足であろう太い体で来日しました。2年目のシーズンとなった前年、38本塁打90打点の活躍をしたことで日本野球を舐めていたのかもしれません。

ペナントレースが始まると、開幕前の危惧どおりバークレオは不振に喘ぎます。その状況で西武が急遽獲得したのがオレステス・デストラーデでした。6月に来日したデストラーデは合流初戦でホームランを放つ鮮烈デビューを飾ると、その後もホームランを量産し続け、83試合で32本塁打という驚異的な成績を残しました。

2年目のシーズンとなった1990年、前年のバークレオの悪夢を忘れられない私は、やはりデストラーデの出来が不安でした。しかし、それは彼に対してあまりにも失礼だったかもしれません。シーズンが終わってみれば42本塁打106打点で二冠王。2年ぶりのリーグ制覇に大きく貢献しました。

そして、この年圧巻だったのが巨人との日本シリーズです。第1戦の第1打席で超特大の先制3ランを放つと、その後も毎試合打点を上げる活躍を見せ、シリーズ4タテの立役者となりました。結局、打率.375、2本塁打、8打点という成績で文句なしのシリーズMVPに輝きます。

ところで、日本シリーズ絡みでデストラーデが持っている記録があります。前述の1990年から1992年まで「3年連続日本シリーズ第1戦第1打席本塁打」というものです。こじつけ臭い記録ではありますが、考えようによってはこれはとても大変な記録だと思います。達成するためには「チームが3連覇し、自身も3年間主力であり続ける」というかなり厳しい条件があるからです。おそらく今後も破られることはないでしょうね。

さて、デストラーデは3年目以降もその打棒でチームを引っ張りつづけます。特に秋山幸二、清原和博と組んだクリーンアップトリオは「AKD」と呼ばれ、他球団を震え上がらせました。この3人がいる限り、強打の近鉄にも攻撃力で劣ることはない。そう信じていたのですが……。

1992年オフ、メジャーリーグの新球団、フロリダマーリンズのオファーを受けたデストラーデは、翌年から新天地でプレイすることになりました。活躍の場をメジャーに移したデストラーデは、マーリンズの4番として20本塁打87打点という好成績を残します。しかし、翌1994年、不振を極めて5月末に解雇されてしまいました。

そして1994年オフ、西武が再びデストラーデと接触します。衰えとも取れる大不振、そして5月以降実戦から遠ざかっている長いブランクがあったにもかかわらず、西武が獲得に動いたのには理由があります。

デストラーデが抜けてからの2年間、西武はリーグ優勝こそ果たしたものの、日本シリーズでヤクルト、巨人に敗れて日本一を逃しています。もちろん、デストラーデ不在だけが敗退の原因ではありませんが、その時期の外国人選手があまりにも打てなかったのも事実です。

                   G    AVG  HR  RBI  SB
------------------------------------------------
 1993  トレンティーノ     30  .152   1    6   0
 1994  パグリアルーロ     80  .263   7   43   3
 1994  ブリューワ       74  .232   8   31   1

ダメ外人マニア大喜びのラインナップです。この成績を見ていると、何と言うか、デストラーデが恋しくなるのも当然だと感じますね。しかも1994年の2人については、こんな成績なのに半分以上の試合で起用されてしまうほど打線全体が低調でした。

さて、「あのデストラーデが帰ってくる!」という、大きな大きな期待を受けての西武復帰でしたが、結果は散々。以前のような打棒を発揮することができず、夫人との離婚問題もあってシーズン途中に帰国ということになってしまいました。

ちなみにこの年の5月9日、富山アルペンスタジアムのオリックス戦で、大量リードを許した8回裏にピッチャーとしてマウンドに登っています。この時は被安打1、与四球2で1アウトも取れずに降板。まぁ、こちらはお遊びですからね。

ところで、デストラーデといえばホームランという印象が強いのですが、意外に脚もある選手で、毎年二桁の盗塁を決めています。このあたりは来日する外国人選手に多い「打つだけで走れない守れない」というイメージとは違いました。もっとも、守備はやっぱりダメでしたけど。

忘れてはいけないのはその明るいキャラクター。日本ハムのマット・ウィンタースとじゃれ合っている姿は、オフの珍プレー番組の格好のネタになりました。また、彼がホームランを放った時のガッツポーズも独特でした。左手を前に突き出して、弓を射るように右手をグッと引く。私が地元埼玉出身だったこともあるのでしょうが、私を含めた子供たちはよく真似をしたものです。

さて、西武史上最高の成績を残した外国人野手は誰かと問われれば、私は迷うことなく「アレックス・カブレラ」と答えるでしょう。しかし、西武史上最高の外国人野手は誰かと問われれば、私はやはり迷うことなく「オレステス・デストラーデ」と答えます。記録だけでなく記憶にも残る陽気なカリビアン。俺はそんなデストラーデが大好きでした。

 

□ 略歴

1962年5月8日生。キューバ共和国出身。右投げ両打ち。内野手・外野手。

フロリダ大 - ニューヨークヤンキース(1981年) - ピッツバーグパイレーツ(1988年) - 西武ライオンズ(1989年) - フロリダマーリンズ(1993年) - 西武ライオンズ(1995年)

【打撃成績】
              G    AVG   HR  RBI  SB
---------------------------------------
 1989  西武     83  .257   32   81   4
 1990  西武    130  .263   42  106  10
 1991  西武    130  .268   39   92  15
 1992  西武    128  .266   41   87  12
 1995  西武     46  .245    6   23   1
---------------------------------------
             517  .262  160  389  42
 
【投手成績(笑)】
            G   W   L   S   ERA
-----------------------------------
 1995  西武   1   0   0   0  -----
-----------------------------------
            1   0   0   0  -----
  • 本塁打王:1990、1991、1992
  • 打点王:1990、1991
  • ベストナイン:1990、1991、1992

2005/09/25(日)後味が悪いもののとりあえずプレーオフ進出決定(はてなプロ野球’05)

2005/09/25 22:31
西武 vs ソフトバンク 第20回戦(インボイス西武ドーム)
 
ソフトバンク  0 0 0  2 0 1  1 0 0  4
西武      0 0 0  0 0 0  0 1 1  2
 
[勝] 斉藤 16勝1敗0S
[S] 馬原 6勝6敗20S
[敗] 松坂 14勝13敗0S
 
[本塁打]
  4回表 松中 45号 2ラン(松坂)

ホークスが今日の勝利でレギュラーシーズン単独1位を確定させ、ライオンズのプレーオフ進出が決定しました……が、こういう決まり方じゃ「よくやった」とは言えませんな。

ライオンズは残り2試合で借金2。貯金の可能性がなくなりました。こうなってしまったのは仕方がないので、あと2試合何としても勝って、せめて5割でプレーオフに臨んでください。借金を抱えてプレーオフなんて恥ずかしいですよ……。

2005/09/25(日)矯正のためにパソコンの壁紙を「ハンク・アーロン」という文字で埋め尽くしてみた金剛賢者のQMA2日記

2005/09/25 22:03

第6回全国大会PIZZA-LA杯が終了しました。皆さんのBlogを拝見していると、「苦手ジャンルばかり押し寄せてくる」という意見が多いようです。

しかし、私の場合を振り返ってみると、必ずしも全面的に同意できる意見ではありません。スポーツ、アニゲも普通に出ていましたしね。ただ、対戦相手が全員青銅以下のような、ちょっと失礼な言い方になりますが比較的楽な対戦の場合に限っては、スポラン2や学問が出てきやすかったと思います。

Blog持ちの方は私より貢献度を稼いでいる方が多いですから、「貢献度最上位の人の苦手ジャンルを優先的に出題する」ということなのかなぁ。

【今日の全国大会】

( 1)  ノンR1 [+3]  学問キュ【4位:3人抜き】
( 2)  学問タイ [+3]  芸能R3 [+2]  ノンR1 [+1]
( 3)  ノンR2 [+2]  学問R3 [+1]  ノンR3 [+3]
( 4)  雑学R1 [+2]  学問連想 [+2]  スポ並替 [+2]
( 5)  学問R2 [+3]  スポ四択 [+1]  アニR2 [+2]
( 6)  スポR2 [+1]  学問R3 [+3]  芸能R1 [+3]
( 7)  学問連想 [+3]  スポ順番 [+2]  ノン連想 [+2]
( 8)  スポ連想 [+2]  雑学順番 [+1]  芸能R1 [+2]
( 9)  スポ四字【4位:41人抜き】

計ったかのように1クレ6人のペースで記録を伸ばしていきましたが、今までの記録の38人からちょっと上乗せしたところでストップ。今まで散々悩まされた学問や芸能ではなく、スポーツで止められたあたりが皮肉といえば皮肉です。しかも止まった原因がハンク「アローン」だったりした日にゃ、もう笑うしかありませんって……。

【今日の戦績】

0-4-2-1#6-5-0(3-2-4)

2落ちが多すぎ。決勝に残っても、2位もほとんどが「得点が2番目」というよりは「得点が下から3番目」という感じの、優勝者に完敗という勝負が多かったです。

実はあと2勝で通算400勝だったので結構粘着していた部分もあったのですが、さすがにこの調子だと無理だと判断して夕方には撤収。明日、明後日辺りは大会後で人が多いでしょうから、達成は今週末になりそうな感じです。

2005/09/24(土)行くぜプレーオフ! 9月24日号(はてなプロ野球’05)

2005/09/24 24:30
    Hawks          Marines
  W-L    PCT      W-L    PCT
------------------------------
  3- 0  .6642
  2- 1  .6567
  1- 2  .6493
  0- 3  .6418     3- 0  .6418

今日でライオンズの3位は確定しましたが、プレーオフ進出は確定していませんので、確定するまでこのコーナーは続きます。

ライオンズがプレーオフに進出するためには、ホークスとマリーンズが同率1位になってはいけません。その場合は、その2チームのみでプレーオフが行われ、3位のチームはプレーオフに出られないというルールになっているからです。ちなみに、そのような状況になるケースは、ホークスが残り試合を全敗し、マリーンズが残り試合を全勝するというパターンのみです。可能性は低いですが、両チームとも残りはたった3試合ですから、あり得ないことではありません。ガクガクしながら結果を待つことにします。

ちなみに、ライオンズにとって最善の策というのは、明日のホークス戦にわざと負けることなんですよ。そうすれば、その瞬間にホークスのレギュラーシーズン単独1位が確定し、同時にライオンズのプレーオフ進出が決定するわけですから。

もちろん、松坂の連続イニング無失点の記録や、ライオンズのシーズン勝ち越しの可能性がかかっているわけですから、ライオンズが敗退行為に及ぶことはないでしょうが、「プレーオフ争いの内容によっては勝つことが最善ではなくなる可能性がある」という、プレーオフ導入前にもあった指摘どおりの状況になってしまいました。今年のこの状況を踏まえて、もう少しプレーオフのルールについての議論をする必要があるのかもしれません。