2013/11/30(土)十年一昔
前の前に務めていた会社が多摩センターにありました。辞めたのが2005年の3月。
別に避けていたわけではないのですが、特に用があるわけでもないため、それ以来多摩センターに立ち寄ることはありませんでした。友人が永山に住んでいるので、すぐ近くまでは何度か行っているのですが。
さて、探している本が多摩センターの丸善に在庫があったので、退職以来初めて多摩センターに行ってきました。8年半ぶりです。当たり前ではありますが、8年もあれば街はずいぶん変わりますね。
当時ずいぶんとお世話になったセガワールドは今ではタイトーステーションになっていました。通っていた当初にはなかったほどの、街全体の熱いキティちゃん押しの光景が見られました。大きなビルではかなりテナントが入れ替わっていました。十年一昔とはよく言ったものですね。
買い物が終わったあと、お腹が空いたので、何か当時を思い出すようなものを食べようと思ったのですが、当時の思い出といえば平日65円のマックのハンバーガーで空腹を満たす、というあまり豊かとは言えない食生活だったので、結局何も食べずに帰ってきましたw
2013/11/29(金)朱に交われば赤くなる
2013/11/28(木)ヘルマン、サファテまで退団のピンチ
涌井、片岡のFA宣言に続き、またもライオンズからの戦力流出のニュースです。
【西武】ヘルマン、サファテ退団へ - プロ野球ニュース : nikkansports.com
まだ明確に破談したわけではないようですが、あまり芳しくない状況のようです。そして、この2人に抜けられるのは非常に厳しい。
ヘルマンは最高出塁率を獲得。時期によって様々な打順をたらい回しにされましたが、最終的に固定された1番バッターとして理想的な選手です。また、まるでホームランを打ったかのようなフォアボールのあとのバット投げや、振り切ったあと一瞬フリーズするバットスイング。そして美しいショートゴロゲッツー。成績だけでなく、見ていて楽しい選手でもあります。
サファテも故障離脱があったり、一時的に調子を落としたりしましたが、文句のない成績を残してくれました。そして、来年は伊原監督の要望により、西武ドームのマウンドがエースの岸に合わせて高くなります。これは西武ドームをやや苦手にしていたサファテにとっても朗報でしょう。
今年の年俸はヘルマンが9000万円、サファテが6700万円。外国の代理人は「選手の主張を通すために代理で交渉する人」ではなく「自分の取り分を増やすために年俸をつり上げる人」なので、2人とも倍増くらい要求されたのではないかなと思っています。もちろん、何の根拠もない想像でしかないのですが、そこまで行かなければライオンズも出すんじゃないかと思うんですよね。
かつてカブレラが年俸交渉を長引かせる代理人をクビにして、ライオンズと契約したこともありました。まだ「向こうからの返事がない」という状態であり、別のチームに熱い思いを感じてしまったわけではありませんから、私はまだ諦めません。2人とも残留してくれることを願っています。
2013/11/27(水)相内、登録名を「誠」に変更
今年のルーキーでもっとも活躍したにもかかわらず、活躍の時期が開幕前どころか入団前だったために新人王を逃したライオンズの相内投手ですが、「誠」という登録名に変更するそうです。
今季西武ドラ2・相内 登録名を「誠」に変更 ― スポニチ Sponichi Annex 野球
Googleサジェスト対策ですね、わかります。
冗談はさておき、「誠」という登録名はどうなんでしょうね。過去に誠で登録されていた選手を振り返ってみると、萩原誠、佐藤誠とも、誠を名乗っていた期間はほとんど出場機会がありませんでした。あまり縁起がいい名前ではありません。
また、ライオンズに目を向けてみても、炭谷、菊池も下の名前で登録されていたころはイマイチでした。もっと遡ればトモキとか。ファーストネームという意味ではロバートとか。
……やっぱりこの登録名やめない?
2013/11/26(火)六本木ボルテックスの思い出
六本木で唯一のゲームセンター、六本木ボルテックスが年内で閉店となるそうです。とても寂しいニュースです。
六本木ボルテックスは、大江戸線で通勤していたころにホームにしていたゲームセンターでした。そして、私の野球使い(当時はスポーツランダム1という名称でしたが)としての原点でもあるお店でした。
まだ00年代だったころ、私はスポーツ好きのQMAプレイヤーによる飲み会、「赤い新年会」というイベントを主催していました。もっとも、主催とはいっても私は名前だけで、お店の手配などはもう一人の主催のでかいひとさんに任せっきりだったんですがw
さて、その飲み会の二次会の会場として使われていたのが六本木ボルテックスでした。二次会とはいっても、プチ大会のようなものをやるほかは、各自が思い思いのゲームをやるだけのイベントです。
QMA3のころだったと思うのですが、その二次会で行われた野球縛りの店内対戦が今でも忘れられません。
今だからこんなDQN発言をしてしまいますが、QMA2のころは私より野球の完成度が高いプレイヤーはいなかったと思っています。そして、それはそれで誇らしいことではあったのですが、微妙な物足りなさがあったのは事実です。
しかし、ここで初めてギリギリの勝負ができました。なんて楽しいんでしょう。こいつらには負けたくないと強く思いました。このお店がなければ、野球使いとしての私はなかったことでしょう。そんな思い出のお店がなくなってしまうのは残念で仕方がありません。
……え、今の俺? アニゲ使いだけど何か?