2013/07/16(火)人間性という言葉で本質を隠すのはやめよう

2013/07/16 22:00
私は8月から参入する案件は決まっているのですが、それまでは社内ニートが確定しています。あと半月くらいはタダ飯食らいです。ただ、社内ニートだとはいえ、一応出社はしているので、そうなると社内のお偉いさんと話をする機会が増えます。 その中でよく「人間性」という言葉が出てくるのですが、私はこの言葉があまり好きではありません。それは、去年の今ごろ、人間性だけで参入していた無能なリーダーに苦しめられたこととは一切関係が……ないといいなぁ。 ……何の話でしたっけ。 私が人間性という言葉を嫌っているのは、人間性が必要ないと思っているからではありません。人間性という便利な単語で、人間性以外の部分まで表現しようとすることが気にくわないのです。 たとえば「ユーザーの立場に立って考えることができる人」のことを「人間性が素晴らしい」などと言うことがあります。一見正しそうに見えます。でも、本当にそうでしょうか? ユーザーの立場に立って物事を考えるためには、以下のことが必要になるはずです。 * ユーザーが何を求めているか理解できる能力 * ユーザーが求めているものを実現する能力 * ユーザーのためになりたいと思う気持ち この中で、本当の意味で人間性と言えるものは3番目だけでしょう。もちろん、3番目も大事ではありますが、上の2つの能力がなければ意味のないものです。これらをひっくるめて「人間性」と言ってしまっては、本質を隠すことになります。ユーザーのためになりたければ、やはり能力がなければいけないのです。 ある人がユーザーの立場に立って考えられないからといって、その人が人間性に欠けるとは限りません。しかし、これを人間性の問題として片づけられてしまう不幸な人がいるのです。もしかしたら、本当に足りなかったのはヒヤリングの能力だったり、設計能力だったりするかもしれないのに、です。勉強すれば、経験を積めばいずれは解決する問題なのに、です。 もう上司の勘違いで不幸になる人は見たくないのに、この会社でもやっぱり駄目そうです。願わくば、俺の可愛がっている連中がそういう被害に遭わないといいなと思います。 やっぱりタダ飯を食らっているといろいろ弱気になってきますね。8月からはお客さんからお金をもらって仕事ができるので、少しは気が楽になるといいんですけど。