2011/03/12(土)頑張れ
昨日の地震の後、現場では「帰れる人は早退しても構わない」という連絡が出たものの、その時点ではJRも地下鉄も私鉄も動いておらず、じゃあ歩いて帰ってみるとどうなるかとGoogleマップさんに聞いてみると6時間弱。膝痛持ちが寒い中それだけの距離を歩けるとは思えません。また、それだけの距離を迷わずに歩けるとは思えません。
状況的に現場に泊めてもらうことは多分できたでしょうが、さすがに何次請けだかよく分からないくらい先のお客さんのところで泊まるのもなぁ。結局、飯田橋から渋谷までならなんとか歩けるだろうということで、同じく帰宅が困難な状況だったJOE画伯と自社に向かいました。決心がついたのは午後7時。最後に背中を押したのは「どうやらJRは今日中の復旧は難しそう」という情報でした。
最初は1時間ちょいもあれば到着するだろうと思っていたのですが、全然甘かった。そんな普段のスピードでは歩けないほどの歩道の混雑。出発前にはタクシーが拾えれば……ということも考えないではありませんでしたが、車道は歩道以上の混雑で、道としての機能を果たしていないような状況でした。家族の方に車で迎えに来てもらおうとした方は大変なことになったんじゃないでしょうか。
予定では途中で晩ご飯でも確保しようと思っていたのですが、コンビニのパンやおにぎりは全滅、閉店時間前に閉まっているお店も多く、牛丼屋にも長蛇の列ができている状況で、選んだのは結局飲み屋さん。さすがにアルコールを摂取する気にはなりませんでしたが、暖かいものが食べられて、しばらくゆっくりできたので少し落ち着けました。飲んだり必要以上の食べ物を頼まなかったこともあり、「晩ご飯にしてはちょっと高いなぁ」程度の額で済んだので、逆に飲み屋で正解だったのかな。
1時間ほど飲み屋さんで暖まってから出発し、渋谷に着いたのは10時半くらいでしたでしょうか。歩いている時間は正味2時間半くらいだったのですが、これは一人だったら心が折れていただろうなと思います。お花見しながら散歩、というのとはまったく状況が違うわけですし。
事務所では一応うとうとはしたものの、何度も揺れで目が覚め、7時くらいに寝るのを諦めました。揺れも怖かったんですが、それ以上に両親と連絡がつかないのが不安でした。
連絡がついたのは8時ごろ。ようやく親からメールが届きました。こちらは地震の直後にメールを送っていたのですが、どうやらauは障害が出て大変だったみたいですね。とにかく連絡が取れてほっとしました。
7時過ぎにはJRはぼちぼち動き出していたようですが、直後は混んでいるだろうということで、10時を過ぎてから新宿回りで帰宅。最短ルートは井の頭線で下北沢回りなのですが、途中駅から電車に乗れるか微妙だと思ったので始発駅の新宿に回りました。結局は、小田急は0時ごろには復旧していたこともあり、本数こそ少なかったものの乗車率自体は落ち着いていたので、下北沢回りのほうが正解でしたが。
そんなこんなで13時前に帰宅し、惨状を覚悟しながらドアを開けたのですが、目立った被害は積読タワーやDVDが散乱していたくらい。しかし、そんな中ずっと立っていたルキアフィギュアはすげぇな。とりあえず最低限の片付けだけをして、布団に入ってようやく就寝。そして先ほど左膝の激痛で目が覚めました。あー、これは明日も動けないな。多分。
この状況で余裕のある人間が夜間に電気を使うのもあまり好ましくないと思いますので、今日はもうおとなしくしていようと思います。まだ闘っていらっしゃる皆さん、応援することしかできませんが、頑張ってください。