2005/09/28(水)区切りの1勝がアイス戦じゃなくてホッとした金剛賢者のQMA2日記
通算400勝達成!
1回戦スポ2でスポJ使いが消え、2回戦アニ4でアニJ使いが消えるという波乱が起こり、これは決勝でもいい勝負ができそうだと思ったところに、3回戦スポ5が荒れに荒れて、突破した金剛は私一人という追い風が吹きました。決勝では73点台というロースコアの決着になりましたが、対戦相手の出題ジャンルが学問、スポ2、芸能という悲惨なセットだったので、3ミスでも勘弁してください。
さて、次の区切りは500勝になるわけですが、3が12月稼動とすれば残り3ヶ月弱ということですから、100勝の上積みはちょっと厳しそうです。上位の方々にとっては通過点に過ぎない400勝ですが、どうやら私にとってはゴールということになりそうです。
まぁ、スポラン1使い的には400勝というのはプロ野球タイ記録であり、ある意味500よりも区切りがいいよなぁと無理矢理こじつけてみたりして。でも、私は金田天皇のように4回まで別のピッチャーに投げさせた後に登板して勝ち星をぶん取るなんて真似はしてませんよ*1。
というわけで、勝ち星的にはできるだけのことはやったかなと。あとは貢献度をどこまで伸ばせるかですね。8000までなら行けそうですが、9000はちょっと厳しそうです。でも、ちぃといつとしては7788とか8899とか、対子っぽい貢献度で3に移行したい気持ちもあったりします。
ちなみに、今日現在の所持メダルは下記のとおり。
- ゴールドメダル:364
- シルバーメダル:409
- ブロンズメダル:365
- 全国大会記念メダル:6
- 賢神杯優勝メダル:1
- 賢王杯優勝メダル:1
- マロン杯優勝メダル:12
- ガルーダ杯優勝メダル:1
- ルビー杯優勝メダル:3
- スプラッシュ杯優勝メダル:1
- ドラゴン杯優勝メダル:11
- フラワー杯優勝メダル:1
- バット杯優勝メダル:1
- ルキア杯優勝メダル:3
- シャロン杯優勝メダル:1
うわ、やっぱり2位の方が多いのか! なんつーか、これだけやりこめばいくらヘッポコでも400勝はできますわな。
【昨日の戦績】
1-1-0-2#3-0-0(1-3-2)
珍しく区間賞が多めでした。
【今日の戦績】
1-2-1-1#3-1-2(1-2-1)
1落ち2回はちょっとアレですが、今日はめでたい日なのであまり気にしないことにします。
*1:金田の先発勝利は268勝で歴代3位。
2005/09/27(火)おやすみなさい
すみません、コメントレスで力尽きましたので、QMA戦績や野球についてはまた明日ということで。
でも、こんな疲れなら大歓迎ですので、皆さんまたお気軽にコメントをください。
2005/09/26(月)大会直後のトナメの濃さに耐えられる実力はない金剛賢者のQMA2日記
昨日その金剛様に「アキバのヨドバシで買い物してきて、あ、領収書は『学校法人クイズマジックアカデミー マロン寮』でお願い!そうしないと経費で落ちないからさぁ」って言われたからってホントに領収書お願いして来たでしょ・・・・・興奮したんでしょ・・・くすくす・・・・良いコねぇ~
3.U.T.昆虫記 - 放置中にランクアップ?ありえなーいな青銅賢者のペット日記
半分冗談で言ったんですけどね。まさか本当にこの宛名で切ってくるとは。さすがお花たん大好きのマゾ青銅賢者です。
店員さんがどんな顔をしてこの宛名を書いたのか、それを想像するだけで笑えてきます。そして、もしその店員さんが有名金剛だったりしたら……!
【今日の戦績】
0-0-1-0#1-1-1(1-0-1)
1クレ目が1落ち、2クレ目が2落ち、3クレ目が3落ち、4クレ目が3位。このまま続けていれば、もっといい成績になったりしたのでしょうか。
2005/09/26(月)第2回予告
というわけで、予告からずいぶん経ってしまいましたが、第1回「オレステス・デストラーデ」をお送りいたしました。なんつーか、普段おちゃらけた文章ばかり書いているので、ちゃんとした長文を書くのは思っていたより難しかったですね。まぁ、半分は自己満足の世界なので、ボチボチ続けていきたいと思います。
同じ内容をヨーグルトBlog*1の方にも書いたのですが、同じことを2ヶ所にアップしても芸がないような気もしてきました。向こうは「索引的ページ」にするのが目的ですから、五十音順の索引を設けた上で一部分だけ書くようにして、全文を読む場合はこちらに誘導するのがいいのかなぁ。この辺りは色々検討中です。
ちなみに第2回のお題は、以前にも予告したとおり「白いボールのファンタジー」の予定です。そして、第3回以降は全く決まっていません。行き当たりばったりっぷりが際立っていますね。何かいいお題を思いついた方はコメント欄などでご意見をいただけると幸いです……と、いきなり人を頼ってみたりして。
2005/09/26(月)第1回『オレステス・デストラーデ』
1989年、西武の主砲であるタイラー・リー・バン・バークレオは、明らかに調整不足であろう太い体で来日しました。2年目のシーズンとなった前年、38本塁打90打点の活躍をしたことで日本野球を舐めていたのかもしれません。
ペナントレースが始まると、開幕前の危惧どおりバークレオは不振に喘ぎます。その状況で西武が急遽獲得したのがオレステス・デストラーデでした。6月に来日したデストラーデは合流初戦でホームランを放つ鮮烈デビューを飾ると、その後もホームランを量産し続け、83試合で32本塁打という驚異的な成績を残しました。
2年目のシーズンとなった1990年、前年のバークレオの悪夢を忘れられない私は、やはりデストラーデの出来が不安でした。しかし、それは彼に対してあまりにも失礼だったかもしれません。シーズンが終わってみれば42本塁打106打点で二冠王。2年ぶりのリーグ制覇に大きく貢献しました。
そして、この年圧巻だったのが巨人との日本シリーズです。第1戦の第1打席で超特大の先制3ランを放つと、その後も毎試合打点を上げる活躍を見せ、シリーズ4タテの立役者となりました。結局、打率.375、2本塁打、8打点という成績で文句なしのシリーズMVPに輝きます。
ところで、日本シリーズ絡みでデストラーデが持っている記録があります。前述の1990年から1992年まで「3年連続日本シリーズ第1戦第1打席本塁打」というものです。こじつけ臭い記録ではありますが、考えようによってはこれはとても大変な記録だと思います。達成するためには「チームが3連覇し、自身も3年間主力であり続ける」というかなり厳しい条件があるからです。おそらく今後も破られることはないでしょうね。
さて、デストラーデは3年目以降もその打棒でチームを引っ張りつづけます。特に秋山幸二、清原和博と組んだクリーンアップトリオは「AKD」と呼ばれ、他球団を震え上がらせました。この3人がいる限り、強打の近鉄にも攻撃力で劣ることはない。そう信じていたのですが……。
1992年オフ、メジャーリーグの新球団、フロリダマーリンズのオファーを受けたデストラーデは、翌年から新天地でプレイすることになりました。活躍の場をメジャーに移したデストラーデは、マーリンズの4番として20本塁打87打点という好成績を残します。しかし、翌1994年、不振を極めて5月末に解雇されてしまいました。
そして1994年オフ、西武が再びデストラーデと接触します。衰えとも取れる大不振、そして5月以降実戦から遠ざかっている長いブランクがあったにもかかわらず、西武が獲得に動いたのには理由があります。
デストラーデが抜けてからの2年間、西武はリーグ優勝こそ果たしたものの、日本シリーズでヤクルト、巨人に敗れて日本一を逃しています。もちろん、デストラーデ不在だけが敗退の原因ではありませんが、その時期の外国人選手があまりにも打てなかったのも事実です。
G AVG HR RBI SB ------------------------------------------------ 1993 トレンティーノ 30 .152 1 6 0 1994 パグリアルーロ 80 .263 7 43 3 1994 ブリューワ 74 .232 8 31 1
ダメ外人マニア大喜びのラインナップです。この成績を見ていると、何と言うか、デストラーデが恋しくなるのも当然だと感じますね。しかも1994年の2人については、こんな成績なのに半分以上の試合で起用されてしまうほど打線全体が低調でした。
さて、「あのデストラーデが帰ってくる!」という、大きな大きな期待を受けての西武復帰でしたが、結果は散々。以前のような打棒を発揮することができず、夫人との離婚問題もあってシーズン途中に帰国ということになってしまいました。
ちなみにこの年の5月9日、富山アルペンスタジアムのオリックス戦で、大量リードを許した8回裏にピッチャーとしてマウンドに登っています。この時は被安打1、与四球2で1アウトも取れずに降板。まぁ、こちらはお遊びですからね。
ところで、デストラーデといえばホームランという印象が強いのですが、意外に脚もある選手で、毎年二桁の盗塁を決めています。このあたりは来日する外国人選手に多い「打つだけで走れない守れない」というイメージとは違いました。もっとも、守備はやっぱりダメでしたけど。
忘れてはいけないのはその明るいキャラクター。日本ハムのマット・ウィンタースとじゃれ合っている姿は、オフの珍プレー番組の格好のネタになりました。また、彼がホームランを放った時のガッツポーズも独特でした。左手を前に突き出して、弓を射るように右手をグッと引く。私が地元埼玉出身だったこともあるのでしょうが、私を含めた子供たちはよく真似をしたものです。
さて、西武史上最高の成績を残した外国人野手は誰かと問われれば、私は迷うことなく「アレックス・カブレラ」と答えるでしょう。しかし、西武史上最高の外国人野手は誰かと問われれば、私はやはり迷うことなく「オレステス・デストラーデ」と答えます。記録だけでなく記憶にも残る陽気なカリビアン。俺はそんなデストラーデが大好きでした。
□ 略歴
1962年5月8日生。キューバ共和国出身。右投げ両打ち。内野手・外野手。
フロリダ大 - ニューヨークヤンキース(1981年) - ピッツバーグパイレーツ(1988年) - 西武ライオンズ(1989年) - フロリダマーリンズ(1993年) - 西武ライオンズ(1995年)
【打撃成績】 G AVG HR RBI SB --------------------------------------- 1989 西武 83 .257 32 81 4 1990 西武 130 .263 42 106 10 1991 西武 130 .268 39 92 15 1992 西武 128 .266 41 87 12 1995 西武 46 .245 6 23 1 --------------------------------------- 517 .262 160 389 42 【投手成績(笑)】 G W L S ERA ----------------------------------- 1995 西武 1 0 0 0 ----- ----------------------------------- 1 0 0 0 -----
- 本塁打王:1990、1991、1992
- 打点王:1990、1991
- ベストナイン:1990、1991、1992