2007/07/09(月)第9回「西武ライオンズ助っ人野手列伝(後編)」
3週連続でお送りしてきた「西武ライオンズ助っ人野手列伝」もいよいよ最終回となりました。ラストとなる今回は、2000年以降に西武に入団した選手たちをご紹介します。
□ トニー・フェルナンデス
G AVG HR RBI SB --------------------------------------- 2000 西武 103 .327 11 74 2 --------------------------------------- 103 .327 11 74 2
1962年6月30日生。ドミニカ共和国出身。右投両打。内野手。
ガスト・フェルナンド・デ・リグネ高→トロント・ブルージェイズ→サンディエゴ・パドレス→ニューヨーク・メッツ→トロント・ブルージェイズ→シンシナティ・レッズ→ニューヨーク・ヤンキース→クリーブランド・インディアンス→トロント・ブルージェイズ→西武ライオンズ(2000年)→ミルウォーキー・ブリュワーズ→トロント・ブルージェイズ。
2000年、前年の大ハズレに懲りた西武フロントが巨額の資金を投入して獲得した大物メジャーリーガーです。メジャーでは通算2240安打を放ち、守備面でもショート部門で4年連続ゴールドグラブを受賞と実績は充分でしたが、来日に際して「神のお告げで日本に来た」と発言したため、かつて阪神に在籍したとあるメジャーリーガーが思い起こされ、西武ファンを大層不安がらせました。
しかし、シーズンに入るとそんな不安はあっさり吹き飛びます。6月ごろまでは打率4割前後をキープし続け、メジャー2000本安打の実力を遺憾なく発揮しました。もう一人の外国人選手、レジー・ジェファーソンが微妙な成績だったこともあり、シーズン途中から4番も任されています。
ただ、守備に関しては完全に期待外れでした。ゴールドグラブを獲得したショートではなくサードでの出場がほとんどだったということもあるのでしょうが、毎試合のように危なっかしい守備を連発してしまいます。しかし、守備に対する懸命さは伝わってくること、同じサードの鈴木健の守備も大差がないこと、そして何より、守備を差し引いても見事なバッティングがあることから、ある程度は我慢できる範囲内でした。
ところで私は、フェルナンデスといえば「大きめのヘルメット」を思い出します。鮮やかなセンター前ヒットで出塁し、次の打者のライト前ヒットでヘルメットを飛ばしながら二塁を蹴って三塁へ……という光景を何度見たことでしょうか。ヘルメットが飛ぶ度にファンは盛り上がっていましたね。
年齢のために怪我が多く、お兄さんが亡くなった時に帰国したこともあったので、出場試合数はやや少なめではありましたが、最終的に打率.327という好成績を残しました。しかし、年齢や年俸の高さがネックになり、2000年限りで退団しています。
4番としてはホームラン数が物足りないことから、フェルナンデスのことを「外れではないものの微妙な選手」と評価する人もいますが、私は「当たり」だったと思っています。外国人選手にありがちな傲慢な台詞を吐くこともなく、常に全力のプレイを見せてくれたフェルナンデス。彼は日本に来た数少ない「本物のメジャーリーガー」でした。
□ レジー・ジェファーソン
G AVG HR RBI SB --------------------------------------- 2000 西武 89 .260 10 48 0 --------------------------------------- 89 .260 10 48 0
1968年9月25日生。アメリカ合衆国出身。左投左打。内野手。
リンカーン高→シンシナティ・レッズ→クリーブランド・インディアンス→シアトル・マリナーズ→ボストン・レッドソックス→西武ライオンズ(2000年)。
2000年、トニー・フェルナンデスとともに来日した大物メジャーリーガーです。左のパワーヒッターで、4番打者として期待されての入団でした。
しかし、他の多くの駄目外人がそうであったように、ジェファーソンも変化球やインコースのボールに対応できず、シーズン途中でトニー・フェルナンデスに4番の座を奪われてしまいます。90年代の本当に大ハズレな駄目外人に比べれば遥かにマシなものの、89試合で10本塁打はやはり寂しい数字ですね。
さて、このまま行ってもシーズン終了後に解雇されていたであろうジェファーソンですが、彼の日本での最後の試合はもっと早く訪れました。8月25日の近鉄戦。9回にエラーをしたジェファーソンに対し、東尾監督はイニング途中ながら守備固めの上田浩明を送ります。この采配にジェファーソンが激怒。この事件がきっかけとなって二軍落ちすると、そのまま帰国することになってしまいました。
彼にも元メジャーのプライドがあったのでしょうが、日本には日本の野球があります。フェルナンデスが日本に溶け込もうと頑張っていただけに、余計にジェファーソンの行動が目立ってしまいました。
□ アレックス・カブレラ
G AVG HR RBI SB ---------------------------------------- 2001 西武 139 .282 49 124 3 2002 西武 128 .336 55 115 4 2003 西武 124 .324 50 112 2 2004 西武 64 .280 25 62 1 2005 西武 127 .300 36 92 1 2006 西武 126 .315 31 100 0 2007 西武 71 .332 14 44 0 ---------------------------------------- 779 .310 260 649 11 (※2007年の成績は7月9日現在)
1971年12月24日生。ベネズエラ出身。右投右打。内野手。
アンドレ・ベロ高→シカゴ・カブス→メキシコ・タイガース→和信→アリゾナ・ダイヤモンドバックス→西武ライオンズ(2001年-)。
2001年に来日し、以来西武の4番として活躍し続けている大砲です。というか、現役選手は書きづらいな。
来日1年目の2001年は開幕からガンガン打ちまくり、64試合目で30号本塁打に到達しました。これはプロ野球タイ記録です。このまま行けば王貞治、タフィ・ローズの持つシーズン最多本塁打記録55本の更新も夢ではないかと思われましたが、シーズン終盤に急にペースが落ちてしまい、結局49本塁打という結果に終わりました。この急失速は、カブレラが高めの吊り球に引っかかりまくったこと、そしてカブレラの後を打つ5番が頼りなかったために、カブレラとまともに勝負しないケースが増えてきたことが原因です。
翌2002年にはストライクゾーンが高めに広がり、カブレラにとっては逆風かと思われましたが、前年の反省を活かしてボールをよく見るようになり、日本タイ記録となる55本塁打を放って本塁打王を獲得、優勝に貢献しました。この成績の上昇は、5番に和田一浩が座ったことにより、カブレラと勝負せざるを得ない状況が増えたことも大きいと思います。
2003年も活躍を続けたカブレラでしたが、4年目の2004年のオープン戦で事件が起こりました。近鉄の山村宏樹からデッドボールを食らい、右腕の骨を折ってしまったのです。復帰は秋ごろと言われた大怪我でした。
しかし、カブレラは驚異的な回復力で6月末に復帰します。復帰後はわずか64試合で25本塁打を放つと、プレーオフ、日本シリーズでも大爆発して12年ぶりの日本一に貢献しました。
この時の怪我の影響か、それとも年齢による衰えかは分かりませんが、2005年以降はホームランのペースがやや落ちています。それでも、今年4月29日に放った通算250号本塁打は733試合目の到達で、ラルフ・ブライアントと並ぶ史上最速タイ記録でした。
ホームランが話題になることが多いですし、豪快なフルスイングのイメージが強いためか、穴の多いバッターと思われがちなカブレラですが、実はバットコントロールは非常に巧みです。日本での通算打率は3割を超えていますし、今年も今日現在パ・リーグの打率トップを行っています。来日当初の驚異的なパワーは見られなくなりましたが、それでもまだまだ怖いバッターであることには変わりがありません。これからも西武の4番としてチームを引っ張っていってください。
□ スコット・マクレーン
G AVG HR RBI SB --------------------------------------- 2001 西武 135 .247 39 87 3 2002 西武 19 .238 2 5 0 2003 西武 131 .225 26 69 2 2004 西武 35 .184 4 10 0 --------------------------------------- 320 .233 71 171 5
1972年5月19日生。アメリカ合衆国出身。右投右打。内野手。
アタスカデロ高→マイナーリーグ→タンパベイ・デビルレイズ→マイナーリーグ→西武ライオンズ(2001-2003年)→シカゴ・カブス→西武ライオンズ(2004年)→シカゴ・カブス→オークランド・アスレチックス。
2001年、アレックス・カブレラとともに入団した選手です。初年度はカブレラと揃って打ちまくり、打率.247ながら39本のホームランをかっ飛ばしました。彼らのコンビは「ツインバズーカ」と称され、それまで長打力不足に悩んでいたチームを救うことになります。
しかし、良かったのは1年目だけでした。2年目は手首を故障してわずか19試合の出場に終わり、3年目も打率.225、26本塁打と、1年目を大きく下回る成績しか残せず、この年のオフには解雇されています。
これだけであれば「最初だけ輝いた微妙外人」という評価で終わったのでしょうが、2004年4月、カブレラが故障で長期離脱したため、クリーンアップ候補として再来日しました。しかし、今までと同様に外角のフォークやスライダーに空振りを繰り返してあっさり二軍落ち。二軍では本塁打王のタイトルを獲得するものの、当然オフには解雇されました。
1年目を見れば駄目外人とは言い切れませんが、その後の3年間、チームの足を引っ張り続けたのは間違いありません。真価を問われる2年目を怪我で棒に振ってしまったという不幸はありましたが、3年目、4年目のバッティングはとにかく酷かった。いくらカブレラを欠いて焦っていたからといって、なぜ再獲得に踏み切ったのか理解できません……。
□ トム・エバンス
G AVG HR RBI SB --------------------------------------- 2001 阪神 39 .242 2 14 1 2002 西武 78 .252 15 45 0 --------------------------------------- 117 .249 17 59 1
1974年7月9日生。アメリカ合衆国出身。右投右打。内野手。
ジュニアタ高→トロント・ブルージェイズ→テキサス・レンジャーズ→デトロイト・タイガース→阪神タイガース(2001-2002年)→西武ライオンズ(2002年)→デトロイト・タイガース。
2001年途中に阪神に入団し、2002年5月に橋本武広とのトレードで西武に移籍した選手です。そういえば、国内の他球団から西武に移籍してきた外国人選手ってエバンスが初めてなんですね。
阪神での成績を考えると「なんでわざわざ獲得したんだ?」と思わないでもなかったのですが、移籍直後はとにかく打ちまくりました。5月、6月あたりは本当に見事な活躍で、故障中のスコット・マクレーンの穴をよく埋めてくれたと思います。
もっとも印象に残っているのは8月16日の近鉄戦でしょうか。この試合では先発の松坂大輔が早々とKOされ、2回を終わって0-9と劣勢だったんですが、3回に3点、4回に7点を奪って大逆転。この逆転のタイムリーを放ったのがエバンスでした。ちなみに、この勝利で西武にマジック34が点灯しています。まさに背番号「34」が運んできたマジック「34」でした。もっとも、実際にはエバンスのタイムリーの後に一旦は追いつかれて、決勝点になったのは松井稼頭央のホームランだったりしたんですが。
さて、そんなこんなでシーズンを終わってみれば打率.252、15本塁打という微妙な成績に終わったエバンスは、シーズン終盤にマクレーンが復帰したこともあってこの年限りで退団しています。しかし、結果論ではありますが、マクレーンを残すくらいならエバンスの方を選ぶべきだった気がしますね。
□ ホセ・フェルナンデス
G AVG HR RBI SB ------------------------------------------ 2003 ロッテ 126 .303 32 100 4 2004 西武 131 .285 33 94 5 2005 西武 120 .293 26 84 5 2006 楽天 132 .302 28 88 2 2007 楽天 67 .229 9 29 6 ------------------------------------------ 576 .289 128 395 22 (※2007年の成績は7月9日現在)
1974年11月2日生。ドミニカ共和国出身。右投右打。内野手。
マドレ・イ・マエストラカトリック大→モントリオール・エクスポズ→ミルウォーキー・ブリュワーズ→アナハイム・エンゼルス→SK→ピッツバーグ・パイレーツ→千葉ロッテマリーンズ(2003年)→西武ライオンズ(2004-2005年)→東北楽天ゴールデンイーグルス(2006年-)。
2003年のキャンプ中にロバート・ローズが退団したため、その穴を埋めるためにシーズン途中にロッテに入団した選手です。1年目から3割、30本塁打、100打点をクリアしたものの、契約がこじれてロッテを退団。西武へ移籍することになります。
移籍1年目は、アレックス・カブレラが負傷で欠けた穴を見事に埋めました。また、プレーオフ、日本シリーズでも好調をキープし、12年ぶりの日本一に大きく貢献しています。そして、2005年も打率.293、26本塁打と結果を残しましたが、この年限りで西武を退団しました。同じポジションの中村剛也が台頭してきたこと、フェルナンデスとカブレラの両方と契約するのは金銭的に厳しいこと、あまりにも守備に難があることなどが原因になったと思われます。
さて、西武を退団したフェルナンデスは楽天に移籍。2006年は打率.302、28本塁打と好成績を残し、主砲としてチームを引っ張りました。楽天2年目となる今年は絶不調と言っていいほど打てておらず、クリーンアップを外れて下位を打つ機会も多くなっていますが、過去の実績を考えればこのまま終わるとは思えません。
□ ジェフリー・リーファー
G AVG HR RBI SB --------------------------------------- 2006 西武 49 .252 13 32 0 2007 西武 33 .223 6 20 1 --------------------------------------- 82 .240 19 52 1 (※2007年の成績は7月9日現在)
1974年8月17日生。アメリカ合衆国出身。右投左打。内野手。
ロングビーチ州立大→シカゴ・ホワイトソックス→タンパベイ・デビルレイズ→モントリオール・エクスポズ→ミルウォーキー・ブリュワーズ→クリーブランド・インディアンス→西武ライオンズ(2006年-)。
2006年に入団した左打ちの長距離砲です。登録は内野手ですが、DH制のないセ・リーグの本拠地での交流戦では外野を守ったこともあります。
初年度の2006年は開幕直後から低迷していましたが、ファームで調整して夏場に再登録された後は打ちまくりました。49試合で打率.252、13本塁打はクリーンアップとしては物足りないものの、6番、7番を打たせるのであれば合格点でしょう。年俸がそれほど高くないこともあり、2007年も残留ということになりました。
今年はオープン戦から好調を維持し、熾烈な競争に打ち勝って開幕スタメンの座をゲット。開幕戦でいきなりホームランを放つなど、春先は見事な活躍でチームを引っ張りました。
しかし、その好調も長くは続きません。打率はあっという間に2割そこそこまで落ち込み、二軍で再調整ということになりました。その後はまだ一軍からお呼びがかかっていません。好調時は手がつけられないくらいヒット、ホームランを連発するのですが、少し調子が落ちるとさっぱり打てなくなるのが困りものです。いかに短期間で不調を脱するか、これが今後の課題でしょうね。