2008/09/25(木)あたし彼女

2008/09/25 24:38

第3回日本ケータイ小説大賞を獲得し、その独特の文体、というか独特の文章フォーマットが話題を呼んでいる『あたし彼女』 *1 ですが、私もざっと読んでみました。

ストーリー自体は、ケータイ小説にありがちな、四六時中色恋のことばかり考えている、あまりお友達にはなりたくない登場人物たちが繰り広げるお話なのではっきり言ってどうでもいいんですが、その文章のあまりの奔放さに驚き、そしてその奔放さに無限の可能性を感じました。この衝撃は初めて『恋空』を読んだ時よりも大きなものです。

「小説」という言葉からイメージするものと比較すると、恋空はあまりに自由すぎました。作者の美嘉は1文を1行に収めるべく短文を書き連ね、「段落」という概念を放棄していました。これは普段いわゆる「小説」を読みなれている人間から見れば確かに衝撃的でしたが、「ケータイ小説」という枠の中で考えれば、それほど突飛なものでもないような気がします。

しかし、あたし彼女はさらにその上を行きました。句読点を排除し、「文章」という概念を放棄したのです。これは斬新です。気が向いた文節で文を区切って、次の行に文を移すことで文節同士の繋がりをぶった切り、自由な構文で物語を綴ることができるようになったのですから。

普通、日本語の単文の場合、主語は1つ、述語も1つです。複文であったとしても、それぞれの節に述語はやはり1つずつです。しかし、誰がそんなことを決めたのでしょうか。人間の思考の順番は、必ずしも文法に則ったものではありません。人間の内面を表現することと日本語の文法を守ること、一体どちらのほうが大事なのでしょうか。表現したいものがあり、その表現のために既存のルールが邪魔なのであれば、それをぶち壊すのも一つの作品のあり方だと思います。

みたいな