2007/05/17(木)第6回『田中幸雄』

2007/05/17 23:34

1985年のドラフト3位で日本ハムに入団した田中が、最初に話題になったのはその名前でした。「田中」という苗字も「幸雄」という名前も、取り立てて珍しいものではありません。しかし、逆に珍しくないが故に話題になってしまったのです。

当時の日本ハムには、先発とリリーフをどちらもこなし、1985年6月9日にノーヒットノーランを達成した、身長190センチと大柄なピッチャーが在籍していました。彼の名前は「田中幸雄」。そう、田中は同姓同名の選手と同じチームに在籍することになったのです。

もっとも、投手と内野手というポジションの違いから、実況中継で両者を混同するようなこともなく、スコアボードの表記も投手を「田中幸」、内野手を「田中雄」とすることで区別することができました。ちなみに、チームメイトの間では身長190センチの投手を「オオユキ」、184センチの内野手を「コユキ」という愛称で呼んでおり、この愛称はファンの間にも広まっていきました。そして、現在でも広く使われています。

さて、田中はルーキーイヤーから一軍に昇格し、2打席目にプロ初アーチを放っています。その後も着実に成長を続け、3年目以降はレギュラーとして定着。主軸打者として活躍を始めました。1995年には80打点で初芝清、イチローと並んで打点王を獲得。その後も毎年安定した成績を残し、パ・リーグを代表するショートに成長しました。

ところで、田中といえば「パワフルなバッティング」というイメージを持っている方が多いでしょうし、実際、成績にもそれが表れているのですが、実は守りの方も堅実でした。1995年6月7日から9月21日にかけて、339守備機会連続無失策のパ・リーグ遊撃手記録を達成しています。この記録は12年が過ぎた今でも破られていません。

また、意外なところでは、史上6人しか成し遂げていない「全打順本塁打」という記録も持っています。珍記録の類ではあるのですが、クリーンアップを任される長打力があり、上位打線を任される脚がある選手にしか達成できない記録ですから、なかなか価値のある記録だと思います。

さて、田中に転機が訪れたのは2003年、トレイ・ヒルマンの監督就任でした。ヒルマン監督は若手を重視した采配を振るったため、田中の出場機会は激減。故障の影響もあり、年々成績を下げていってしまうことになります。そんな田中に対し、球団は移籍の希望があればトレードに出すと打診したものの、田中は生涯ファイターズを宣言して残留しました。コユキさんカッコいい。

2004年に球団が北海道に移転してからの田中は、主に右の代打の切り札的なポジションで働くことになりました。また、若手の多いチームにあって、精神的な支柱でもありました。温厚な性格で知られる田中ですから、若手の良き相談役になったことでしょう。明るいキャラクターでチームを引っ張った新庄剛志とも、背中でチームを引っ張った小笠原道大とも違う形で田中がチームを支えたからこそ、2006年の日本一があったのだと思います。

しかし、田中自身としてはレギュラーを剥奪されたわけで、当然打席数が少なくなっているため、残りわずかとなった2000本安打への道のりもなかなか前進することができません。それでも、20年目のシーズンとなる2006年を終えて通算安打を1982とすると、2007年はスタメンに座る機会も増え、着実にヒットを積み重ねていきます。そして今日、2007年5月17日。

8番ファーストで先発出場した田中は、第2打席、外角のストレートを逆らわずにライト前にはじき返し、史上35人目となる2000本安打を達成しました。場所はかつてのホームグラウンドである東京ドームです。札幌のファンは地元で決めてもらいたかったでしょうが、田中がもっとも長い時間を過ごした東京ドームでの記録達成ということで、これはこれでとても綺麗な形で収まったのではないかと思います。

日本ハムが後楽園から東京ドームに移った時、そこにはオレンジのユニフォームの田中の姿がありました。1990年代前半、大沢親分がファイターズ旋風を巻き起こした時、そこには縦縞ユニフォームの田中の姿がありました。そして2006年、44年ぶり2回目の日本一を果たした時、そこにも田中の姿がありました。田中幸雄といえば日本ハムファイターズ、日本ハムファイターズといえば田中幸雄。彼はまさしく日本ハムの顔であり、歴史でした。そして、これからもそうあり続けるでしょう。

2000本安打おめでとう、ミスターファイターズ。


□ 略歴

1967年12月14日生。宮崎県出身。右投右打。内野手・外野手。

都城高-日本ハムファイターズ(1986年-)。

【打撃成績】
                G    AVG   HIT   HR   RBI  SB
--------------------------------------------------
 1986  日本ハム     14  .148     4    1     4   0
 1987  日本ハム    112  .203    66    9    33   1
 1988  日本ハム    130  .277   141   16    57   1
 1989  日本ハム    130  .247   106    7    43   7
 1990  日本ハム    130  .287   129   18    52   4
 1991  日本ハム    130  .241   109   13    62   3
 1992  日本ハム      1  ----     0    0     0   1
 1993  日本ハム    128  .253   120   12    63   5
 1994  日本ハム    130  .286   148   27    87   2
 1995  日本ハム    130  .291   142   25    80   1
 1996  日本ハム    130  .277   142   22    82   3
 1997  日本ハム    133  .254   137   19    63   1
 1998  日本ハム    107  .274   115   24    63   2
 1999  日本ハム    131  .270   137   23    74   2
 2000  日本ハム     97  .256    84   15    46   1
 2001  日本ハム    139  .255   125   20    77   2
 2002  日本ハム    132  .278   130   17    53   0
 2003  日本ハム     78  .275    66    9    32   3
 2004  日本ハム     35  .253    20    0    10   0
 2005  日本ハム     98  .237    46    5    22   0
 2006  日本ハム     58  .174    15    0     4   1
 2007  日本ハム     32  .230    20    4    13   0
--------------------------------------------------
              2205  .263  2002  286  1020  40
 
(※2007年の成績は5月17日現在)
  • 打点王:1995年
  • ベストナイン:1988年、1990年、1995年、1996年
  • ゴールデングラブ:1988年、1990年、1991年、1995年、1996年